友人2人による旅と日常の共同記録
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夜は短し歩けよ乙女という本を読んだ。なかなか良かった。突飛なストーリーと文章表現で引きずり込まれた!久しぶりに人にオススメできる本だった。結構有名な本だけど。
閑話休題 前のエントリーについて少し…。その後仁保についてネットで何となく見ていたら興味深い内容がぽろぽろ出てきた。 ・昔隕石が仁保に落ちたらしい。 ・人形からくり屋敷があるらしい。 ・巨大なパラボラアンテナがあるらしい。 (高速道路から見えるアンテナがある場所は仁保だった!) そして… ・悲惨な殺人事件があったらしい。 50年とちょっと前、仁保駅から北東に2kmほど行ったやまあいにある人家で殺人事件があったそうです。事件の内容については詳しくは触れませんが、冤罪の例としてこの事件は有名らしいです。 事件の十数年後に冤罪と認められましたがその後、真犯人は捕まっていません!(俺調べ) こういう事件を知ると… 北東に2キロのやまあいってもう少し歩いてたら現場付近だったな…とか そういや歩いてる途中に、風化していて何書いてるか分からない謎の石碑があったけど関係あったり…とか 俺が拝んだお地蔵さんって…てか仁保には6つ並んだお地蔵さんがどこかにあるらしいが6って殺された人数とおなじ…とか 良くない妄想がもりもり沸いてきた。村、悲惨な殺人事件、謎ってあれを連想させるね!なむなむ! (資料がまったく無い場所で書いてるので過剰表現があったりするかもあしからず) 嘉 PR
バイト先の健康診断が昼前に終わって少し時間が余ったので山口線に乗ってみた。
(これ以降を読もうという暇な方は頭のなかで想像しなから読んでってください。じゃないと意味不明だと思います。) 降りる予定の駅は仁保駅。秘境駅に認定されている。山口駅から3駅ほど行ったところで、宮野の次の駅。なのに秘境。信じられん。宮野って大学とか傍にあってなかなか栄えてるもんね。気になる…ってことで行ってみた。 宮野駅を出るとだんだん田舎の風景になってきた。ここまでなら山口ならよくあること。でもどんどん緑が多くなっていき、ついにはジャングルっぽいところに入っていった。なんじゃこりゃ。 ついた仁保駅は山と山の間にあった。日が照っていて良く緑が映えている山と数軒の人家しか見えない。れっきとした田舎に降ろされる。俺とおばあちゃん計2人が降りた。おばあちゃんに不思議そうな目で見られている。乗っていた電車がトンネルの中に消えていき、迎えの電車が来るのが1時間後…なのでそれまで仁保村をぶらぶらしてみることに。 駅は当然無人駅で駅舎もない。というか駅看板がない。そんな駅を出ると、目の前に細い山道が一本。道の奥から車の音がかすかに聞こえる太い道が一本、と二手に分かれていた。山道は木や葉で影ができていてとても綺麗で涼しそうだったのでそちらに進んだ。9月の半ばでもそれなりに暑かった。おばあちゃんとはそこで別れる。細い山道を抜けると数軒の家とたんぼが見えてきた。車も人もまったくなくて虫の鳴き声しか聞こえない。周りに道路も見えない、見えるのは山のみ。電車十数分でこんなところにこれるのか…。山を中心にして村が一周できそうな道だったので歩き続けることにした。 釣りに良さそうな大きな池の傍を通って、田に囲まれた舗装されていない1本道を歩き、大木の傍のお地蔵さんを横切り、これまた釣りに良さそうな川を沿うように歩いた。気持ち良かったけど血を抜かれた体に、晴れた昼間の散歩は少しつらかった。40分程度で駅まで戻ってきた。 それまでに出会った人は5人程。それまでに犬に2匹吠えられた。人が珍しいのか、よそ者だと分かってしまうのか。 駅で仁保村の掲示板を見ながら電車を待ち、予定どおりの電車に乗って無事に山口駅まで戻ってきた。 案外楽しめたのでまた似たようなのやりたい。 往復400円、2時間の旅?でした。 嘉
寝れない…。んで何か書き込んでみたくなりました。
あれからちょうど1年で、書き込むのも1年ぶり。何も書くことないんだけどね。ちゃんとこれが書き込めているかも心配。 現状報告をしてみると 実家で健康に過ごしています。 それからTwitterはじめてみました。ユースで広まったら結構面白いかも? 投票1番のりと張り切っている親に2時間後くらいには起こされそうなのでさすがに寝ます。 嘉
僕らの生活は,誰かの犠牲の上に成り立っている.
甘いチョコレートを作るために,アフリカでは人々が低賃金で働かされている. 冷房の効いた部屋で過ごすことで,ツバルの島々は水没の危機に面している. 僕が知らないだけで,どこかで誰かが犠牲になっている. 64年前,ヒロシマ・ナガサキに原爆が落とされて 約20万人の人が命を落として,戦争は終わった. 戦争は止めるべきだと誰もが思い願っている. でも,戦争を経験していない僕らの「戦争反対」の言葉には決定的なまでにリアルさが欠けている. 戦争を経験した世代には「平和ボケしたお前らに何がわかる」と突き放されるかもしれない. だからこそ,60年以上も前,僕と同じ年の彼らがどんな想いで戦争に駆り出されて,戦ったのか. 64年前,ヒロシマに落とされた原爆により,4000度近くまで熱され,泡立つ地面に立った人はどんな風に命を落としたのだろうか. 365日に1回でいいからうーんと考えて,ゾッとすることが, そういう想像力こそが僕らには必要なのだと思う. インターネットが普及して個人の表現が自由に,身近になった今, 小学生の頃,泣きながら当時の話をしてくれたおばあちゃんのために どんな形であれ,今日の気持ちを発信するべきだと僕は思った. 広島で育った人間として,夏はこういうこと考えてしまう季節でもある. 時間の都合上8月6日中に更新できなかったことが悔やまれるが, 以上.最後までお付き合いいただきありがとうございました. 穂 |
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穂垣と嘉本
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2人とも広島県出身,山口県在住の大学生
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